続・夜のソムリエ 第四話 夢屋誕生
4-1
「おやおや楽しそうですねー、わたしも入れてもらえますでしょうか?」
田中はその声に飛び起き、
「あっ、すんません。いらっしゃいませ!」
「ほほー、しっかりやってらっしゃるじゃありませんか」
「おや、これはどうも」
田中の動きに合わせるように全員が起き上がってカウンターに座り直し、仁美ちゃんもカウンターの中に入ると今まで何事もなかったかのように店内は静まり返った。
「お久しぶりです、先生」
「こちらこそ。昨日はオペで来られなかったもんですから。面白い事を始められたということは聞いておりましたので早速と思っておりましたんですが」
「いやー、お越しいただけるだけでありがたいことですわ」
「ウタマーロ、だれですかこの方は?紹介してください」
「ああ、マリアンヌ、こちらはドクター川村や。脳外科の先生なんやけど、マリアージュの方が専門の先生なんや」
「マリアージュ!結婚のプロですか?」
「違うがなマリアンヌ、ワインと食べ物の相乗効果のことやがな」
「おー、そうですか、マリアージュですか」
「そうや、強烈やで、この先生のやらはることは」
田中がそういいながらドクターの方を見ると、
「いやいや、大したことありません。まだまだ究極のマリアージュには至ってません。次はやっぱり私、脳味噌にこだわってみようかと思うのです」
と、まじめな顔で全員を細い目で眺め回す。ドクターとも三年振りになるのだが、相変わらずの好奇心と下手物趣味に変わりはなく、ますますその度合いを増しているように見受けられた。
「こんばんはー」
また入り口で声があった。 見ると、パリっとしたスーツに身を固めた味覚寺の住職だった。
「いやー、またおもろいこと始めはったんですなー、おや、こちらのきれいどころはどなたはんですか?」
その声が終わる前にマリアンヌが立ちあがって住職の方に歩み寄った。
4-2
「わたし、マリアンヌ。ウタマーロはわたしのアミです」
「アミいうたら、阿弥陀さんいうことかいな?」
「おいおいマリアンヌ、勝手なこというたらあかんで。ご住職、彼女はフランス研修のときのアシスタントを務めてくれたんですわ」
「ノン!、ウタマーロはわたしのアミです」
「あのなー、まぎらわしいやっちゃなー、ほんまに」
田中が住職に説明するのを無視してマリアンヌはいつのまにかカウンターの中に入り、田中の首に両手を回してぶら下がっている。 仁美ちゃん、二人の女性客、ドクター、住職が呆れ顔で見つめる中、マリアンヌは臆する様子もなく田中の唇をねだるように田中の瞳の奥を見つめるのだった。
「いやー、結構ですなー田中さん、フランスから追いかけてきたんでしょ、このマドモアゼルは。一期一会を大切にしなければいけません。あなたがフランスでなさったことの結果が今我々の眼前で展開されているにすぎないのですから。いやー、うらやましい限りです」
と、ドクターは一瞬舌なめずりするような表情でマリアンヌと田中の顔を交互に眺め、
「麻子はんがおらんでよろしおましたなー」
と、住職には釘を刺すような口調で追い討ちをかけられる。
「皆さん、それは誤解いうもんです。ラテン系はどうも感情移入がはげしすぎるんですわ」
田中がいくら事情を説明しても客たちは全く聞く耳を持たないようで、もと宝塚の二人まで、
「わたしたちは何ともありませんわ。お幸せそうでいいんじゃないでしょうか」
と、無責任な発言をする。そのとき、
「皆さん、席についてください!ここはワインパブです、ワインを飲みましょう!」
という大声が店内に響き渡った。気づくと、仁美ちゃんが肩で息をしながら両手を腰にあて、全員を睨み付けている。 その声にマリアンヌも驚いたように仁美ちゃんの方を振り向いて、仁美ちゃんに負けず劣らぬ大声で、
「おー、恐ろしい。あなた、一体だれですか?ウタマーロ、このひとウタマーロのアミなんですか?」
4-3
二日目にして起こった騒動もその後に影響を及ぼすこともなく平穏の日々が続き、マリアンヌも時々顔を見せてはいたが、問題を起こすようなこともなかった。
三人で交代で来てくれていた残りの二人はそれぞれの理由で辞めてしまったが、仁美ちゃんだけはしっかりとサポートしてくれ、あっという間に三ヶ月が過ぎようとしていた。
田中としては、最初に目論んだ予定の日程が余りにもあっけなく過ぎ去ろうとしていることに、意外な思いがしないでもなかった。 同時に、かすかな手応えと、物足りなさも感じていた。 数字的にも、月曜日から金曜日の営業という日数の少なさにもかかわらず、最初に計画した線をクリアしていたことも田中の気を良くさせていた。
田中はこれらの数字を安川に報告するとともに、現在地での営業を延長する意思を伝えて諒解を得ていた。 ところが、この田中の思惑はもろくも崩れ去ることになった。
ビルのオーナーがへそを曲げてしまったのである。 その理由というのが定かではないのだが、マネージャーに聞いたところによると、健康診断の結果、断酒を余儀なくされ、自分が飲めない酒を売る店が地下にあるというのは気に入らないというような、全くもってよく分からない理由であった。
マネージャーとの間ではスムーズに延長の話が進んでいただけに、これは晴天の霹靂とでもいうべき出来事であった。十一月も半ばのボージョレ・ヌーボー解禁の頃のことである。
残すところ二週間というところで、田中は移転先を物色しなければならなくなった。 人のいいマネージャーは、自分のことのように親身になって物件の斡旋にも協力してくれた。 しかし、余りにも日数が少なすぎた。店の営業を続けながら昼間に同じような物件を探すというだけではそうそういい物件に当たるはずもなかった。
最初の物件が余りにも簡単に見つかっただけに、この作業は田中にとって苦痛以外のなにものでもなかった。しかし、 「あの店、使うたらいいやないの」 という麻子の一言でこの問題も収束を見ることになった。
「あの店」というのは、勿論、香港に来る前に麻子がやっていた店のことである。三年の間、売るでもなく貸すでもなくそのままにしてあったのは知っていたが、田中の頭の中に候補として上ることすらなかった物件だった。 麻子のやっていた店は割烹の店で、当然造りも和風だったからである。
4-4
「あれ、和風の店やないか」
「そんなこと関係ない。オシャレに使うたらええやないの!」
麻子とはたったそれだけのやりとりだったが、田中は腹をくくることにした。 色々なデータを集積するにも、パイロットショップとしての実績を積むにも、三ヶ月では短すぎることは百も承知のことだっただけに、いずれにしても拠点が必要なことは明らかなことだし、造りが和風であるとか洋風であるとかといった贅沢をいえる状況ではなかったからである。
また、田中自身、「空いている物件を活用してワインパブをやる」というコンセプトを実証するのにまたとない機会であるという納得の仕方もしていた。
こうと決まると、田中のようなタイプの人間の行動力はいかんなく発揮される。 「月末の引越し、翌日からの営業」という目標に向かって、田中はすぐにエンジン全開で走り始めたのだった。
十二月一日。 田中は、店を天王寺区夕陽丘町に移転した。 店名も「六十五日間、夢のワインパブ」の「夢」の字をとり、和風な店構えに合わせて「夢屋」とした。
当日の夕方になってやっと、丸い電飾看板が店の壁面に取り付けられ、「ワインパブ 夢屋」がオープンすることになった。看板は道具屋筋に田中自ら出向いて買い求め、文字は自分で墨書し、親友の利久さんに頼んでマックで切り文字を作ってもらい、貼り込んでもらった。
しかも、利久さんは軽トラックを自ら運転し、引越しの荷物運びを手伝ってくれ、下戸にもかかわらず、最初の客になってくれたのだった。
しかし、移転の案内もままならないままに始めた営業の無謀さはすぐに証明されることになった。 マネージャーの取り計らいで喫茶店には急ごしらえで作ったチラシを置いてもらえることになったので、急な移転ではあったが喫茶店の客はついて来るものと高をくくっていたのが大きな間違いだった。
三ヶ月とは言え、顔なじみになっていた客もいたはずなのだが、全くと言っていいほど顔を見せず、大阪という街の商圏の狭さを思い知らされることになった。 移転した距離は地下鉄で四つほどの距離。時間にしてたったの十分ほどのことなのに、全くの別天地に来たかのような反応の無さだった。
だが、考えてみればこれも当たり前のことで、本町辺りのオフィス街に勤務している人達は北へ向いて帰る人が圧倒的に多い。夕陽丘はそれからすると逆行することになるため、敬遠されるということなのだ。
4-5
それでも奇特な人はいるもので、移転後も数人の客がついてきてくれたのだが、その中でも仁美ちゃんが一緒に来てくれたことは心強かった。
「音楽の勉強も面白いけれど、ワインも面白~いんだもん」
という仁美ちゃんの一言が田中の沈みがちになる気持ちをどれだけ励ましてくれたか分からなかった。
カウンターに座り、ガラスの格子戸越しに外を眺め、ボトルに水を入れてはワイングラスに注ぐ練習をする仁美ちゃんを見ていると、「何のためにこんなことをしているのだろう」という疑問がふと脳裏をよぎり、その度に「もう少しやってみよう」という気持ちにそれを置き換えている自分を発見するのだった。
「この店がなくなったら、わたしたちどこへ行けばいいんでしょう?」
確か、そんなことを言った客がいた筈だ。
「どこまでも追いかけていきます」
そんなことを言った客もいた筈だ。
「手が足りなかったらいつでも飛んでいきます」
そう言ってくれた客もいた筈だ。
しかし、それが口だけのことだったということが分かるのに殆ど時間を必要としないというのは何とも寂しい限りで、店と客とはまさしく一期一会と心得るべきであると、再確認するしかなかった。
店名を「夢屋」としたのに合わせ、自らを「夢のソムリエ」と名乗ることにした田中だったが、店の存在も、仁美ちゃんも田中自身もシンと静まり返った夕陽丘の街の中で忘れ去られた夢のような存在でしかなかった。
「えらいとこに来てしもうたんかも知れんなー」
「でも、以前はとても有名な店だったんでしょ」
「麻子は特別なんや。こんな辺鄙なところでも大勢のお客さん来てくれてたんやから。そやけど、もうそれも三年前の話や」
「最初はそんなもんじゃないのかしら。宣伝しなくちゃ駄目でしょ」
「宣伝て、ここらお寺ばっかりで宣伝にならんと思うけどなー」
「そんなことありませんよ。わたし、チラシ作って配ってみたらいいと思うけど」
かくして仁美ちゃんは手作りのチラシを作っては冬空に自転車に乗ってチラシ配りに出掛けていくのだった。
無駄に思える作業も地道な積み重ねから実を結ぶこともあるようで、しばらくすると、仁美ちゃんのチラシを持った客がポツポツ訪れるようになったのだった。

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