続・夜のソムリエ 第五話 インターネット

 




5-1

夕陽丘の店は、地下鉄谷町線の四天王寺前夕陽丘駅から歩いて一分という便利な場所にある。


四天王寺は聖徳太子の建立した寺で、日本でも最古の寺院の一つに数えられている。 しかし、この辺りは寺町と言われるとおり、店の周りは寺だらけで、最近ではマンションが建ち始めてはいるが、人の数より墓の数が多いほどである。


麻子がこの立地を選んだのは、キタやミナミでは顔が割れて遊びにくいお偉方のためを考えてのことだった。 だが、そのような会員制クラブのような立地としては申し分のないものも、ワインパブという立地としては逆効果の面の方が多かった。


店が面している道は学園坂といって、北向かいに大阪女子学園という学校があることから名づけられた坂道で、西の松屋町筋から東の谷町筋に向かってだらだらと上っていく。


この坂を上り切る少し手前が店なのだが、この坂を上ってくる車は多くても駐車することが出来ないため、通り過ぎてしまうしかない。


またこの店の存在を知っていたとしても、以前、黒塗りの車や大型の外車が停まっては両脇をお付きの者に挟まれて入って行く要人の姿を目にしたことのある近隣の住民には敷居が高すぎるらしく、全くと言っていいほど寄り付く気配がなかった。


仁美ちゃんの作った可愛らしいチラシを見ても、以前のそんな店の存在とは余りにもギャップがあったのだろう。ポツポツ訪れてくれる客は近隣の住民ではなく新しく出来たマンションの住民らしく、チラホラ関東弁を喋る人も見受けられた。


三年の間、店を放置してあったことも影響していたのかもしれない。店の前を歩いて行き来する人々の視線にはいぶかしげなものが窺われるほどで、田中にしてみると、十二月の寒空のせいだけではなく、早々と次の候補地を探しにかかる必要性すら覚えるほどのよそよそしさを感じさせる街のたたずまいに思われた。


とはいえ、面白いもので、新しく店が出来ると必ず行ってみたくなる人種というのはいるようで、やがて、通りすがりの客が出入りするようになってきた。


銀ちゃんもその一人で、自分で会社を経営しているせいもあって、自由になる金がそこそこあるらしく、その風体の割には優雅なプライベートライフを送っていることが窺えた。


彼が初めて夢屋に現れたときも、ジーパンに厚手のウールのシャツ一枚という軽装で、ワインパブに来るよりも居酒屋か焼き鳥屋の方が似合いそうな雰囲気であった。しかも、最初の一言が、「一番安いワインください」だったのだから、ますますそう思われても仕方のないところだろう。


5-2

ところが、銀ちゃんはその一番安い白ワインを飲み干すと、


「一番高いワインください」


と言ったのだ。


この一言が、田中にはひどく印象に残った。 ワイン好きの飲み方は、一般に下のランクから順に上のランクへと移っていく。しかし、プロの場合は一番下と一番上を飲めば、その中間のワインがどの程度のものであるのかはおおよそ想像出来るものである。


てっきり、よその店が偵察にやってきたのかと思い、田中は銀ちゃんに聞いた。


「お店、やってはるんですか?」


「いーや、前通ったら、ワインパブとなってたもんやから。いつも前通ってるんやけど、以前は何や入りにくーて来たことなかったんやけど」


「お近くですか?」


「いや、会社は東大阪で工場やってるんや」


「機械かなんかですか?」


「いーや、機械の一部やな。半導体関係や」


半導体というのと目前の一見ヌーボーとした風情の男とはどうも結びつかない。


「半導体いうたら、コンピュータチップみたいなもんですか?」


「まー、そういうことやな、これからはインターネットの時代やからな、コンピューターがよう売れるんやろ」


ますます発言内容と容貌とがかけ離れていく。


「今度は一番安い赤ワインおくれ」


ブルゴーニュの高級白ワイン、ピュリニーモンラッシェを飲み干すと、銀ちゃんは軽い調子でそう言った。


「一緒に何か召し上がりませんか?」


「いや、食事はもうしてきたんや。ワインだけでいいんや」


田中の声に仁美ちゃんが動きかけてそのまま立ち止まり、


「ワインだけなんだー」


とつぶやくと、


「あー、そんなら、チーズ貰うわ。何かこのワインに合うチーズ、みつくろうて出してみて。匂いのきついのはあかんで」


「じゃー、クリームチーズにしましょうか?」


「いや、任すわ」


「それ、飲んでしまわはったら、今度は一番高い赤ワインていわはるんでしょ」


「なんで分かるんや」


「なんでって、そうかなーって誰かて思いますよ」


5-3

三杯目にしてすでに酔ってしまったのだろうか、銀ちゃんは突然知り合い同士の冗談のような口調になってきた。


「そーかー?そうやな」


「それやったら、クリームチーズより、次のワインに合うチーズ、お出ししようかな思いまして」


「ふ~ん、そんなら頼むわ」


85年のルロワをグラスに注ぎ、仁美ちゃんの用意したチーズを隣において、


「このくらいコクのあるワインやったら、同じくらいコクのあるチーズ、ロックフォールがピッタリや思います。チーズを口に入れてワインと一緒に噛んで下さい」


と、田中が言い終わらないうちに、銀ちゃんはチーズの乗った皿を自分の顔の前に持ち上げ、いきなり匂いをかぐと、


「わー、あかん、これチンカスみたいな匂いやないか。臭いのはあかんいうたやろ」


「まー、そう言わずに、いっぺん試してみてください。口に入れて赤ワインを入れると、クリームの香りが口中に広がって甘い感じがするはずです」


銀ちゃんは「臭い」「臭い」を連発しながらも田中の顔を上目遣いに見ながら、恐る恐るロックフォールチーズを口に入れ、顔をしかめながらルロワを流し込んだ。


銀ちゃんの顔が一瞬ゆがんですぐにゆるんだのを見届けてから、


「どうです?美味しいでしょ」


「ほー、なんじゃこりゃ、腐れ納豆みたいな味か思うたら、そうでもないやないか」


「そうでしょ、それが・・・」


「マリアージュって言うんだよー!」


仁美ちゃんがかぶせてくる。


「マリアージュ?」


「そー、食べ物とワインの相乗効果で美味しくなることなんだよー!」


「へー、さよか。チーズだけやったらあかんけど、ワインとやったらまずーないもんやな」


「そうだよー、とおっても美味しくなるんだ」


いつのまに覚えたのか、仁美ちゃんはすでに立派なアシスタントに成長していたようだった。


銀ちゃんは、それからオードブルを全品注文し、それに合わせたワインを注文した。全てをまず知り尽くしたいと思う銀ちゃんの性格の一端はすでにこのとき垣間見えていたということができよう。


5-4

「やっぱ、これからはインターネットやで」


ある日、銀ちゃんは、しこたま飲みしこたま食べて目尻の下がった顔でそう言った。


「おや、銀ちゃんインターネットて、知ってはるんですか」


「何いうてますんや、パソコン買うたんでっせ」


「パソコン?似合わんなー」


「わし、インターネットで恋人募集中なんや」


「へー、たいしたもんですなー、いつのまにそんなこと覚えましたんや」


「Eメイルもバッチリでっせ。ここにもEメイルのアドレス持ってる人来るやろ。そんな人にニュース流してあげたらどないや」


「それっておっしゃれー!」


銀ちゃんのようなおじさんからインターネットの話がでるとは思わなかったが、仁美ちゃんが即座に反応した。


「最近はiモードのケータイ持ってる子も多いしー、メイルってとっても便利なんだから」


「そうやで、これからはメイルでっせ。わしなんか、メイルでデートは百発百中やで」


「へー、そんなに確率高いもんですかねー」


「やっぱ、ネットワークいうのは大事やで。一人いったら芋づる式や」


「はー、つながってますか」


「そういうこっちゃ」


「ほなアドレス持ってる人に聞いてみるようにしますわ」


会社で日常のこととしてEメイルを使ってはいたが、店の客がアドレスを持つにはいたっていないのではと思っていた田中だったが、銀ちゃんに言われてからは出来るだけ来店客に対して、アドレスの有無を聞くように心がけるようにした。


やがて、ポツポツとアドレスが集まり始め、ニュースになるような話題をまとめて送る日がやってきた。その数は数十だったが、それに対するレスポンスは上々だった。 銀ちゃんの勘は当たっていたのである。


こうして「夢屋メイル」が始まったのだった。 「夢屋メイル」は思いの外好評で、客の一人に送るとその客の友人に転送され、やがてその転送先の友人が来店し、その友人がアドレスを教えてくれ、直接送付してくれるよう依頼されるということが頻繁におこるようになった。


銀ちゃんの言う、「芋づる式」現象が起こり始めたのである。 しかし、その年の終わり、12月31日の「ワイン年越し」にはこの「芋づる式」も効果なく、たった二人の来客があっただけだった。


5-5

「明けましておめでとうございます!」


年が明けた初日、真っ先にやってきた銀ちゃんは、


「ホームページ作ったらどないや?これからはヴァーチャル・ショップの時代やで」


と、前年の話の続きをいきなり始めた。


「ヴァーチャル・ショップって、ワイン売るんですか?」


「いや、インターネットで客と田中さんが話するわけや」


「インターネットで話するって、儲かりませんがな」


「いや、顧客サービスいうやっちゃ。いつもいつも来られるわけやない。そういうときにヴァーチャルで話ができるわけや。楽しいで、これは」


「銀ちゃんは、そら女の子と話してはるから楽しいかしらんけど、お客さん、ワインも飲まんと話なんかしますやろか」


「そこがヴァーチャルの面白いところやないか。店ではなかなか話しづらいこともインターネットやったら話せるもんなんや。つまり、本音で話せるいうことや」


「本音でねー」


「そうや。客の本音が聞けるいうのんはなかなかないで。つまり、リサーチやな。それで、そのリサーチした結果を店に反映させるわけや」


「なるほど、リサーチですか」


「そうや。安いもんやで。リサーチ代と思たら」


こうしてインターネット上の掲示板、「BBS夢屋」が出来た。


しかし、こちらの方は銀ちゃんの予想に反して書き込みする客はごくまれだった。


考えて見れば当然のことで、掲示板に書き込みするときの最大の面白さは、「顔も知らない相手とコミュニケーションする」ことにあるわけで、店で一旦顔を合わせてからの書き込みというのは、顔を合わせる前よりもテレを感じてしまうものなのだ。


しかも、誰でもそれを読むことが出来るというのでは、気恥ずかしくて書き込みなど出来たものではないに違いない。 メイルでのやり取りはあっても、掲示板への書き込みは伸びないまま、「夢ソム」名での書き込みだけが並ぶ日々が続いていた。


そんなある日、店を終わって帰ってきて「BBS夢屋」に書き込みを しようとした田中の目に、思いもよらない書き込みが飛び込んできた。


名前には全く覚えがなかった。書き込みの内容にも覚えがなかった。しかし、内容をよく読んでみると、明らかに相手は田中のことを知っているようだし、一緒に行動をともにしたことがあるらしいのだ。ところがその行動の内容というのが、田中には全く身に覚えのないことだったのである。


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