第十五話 ミチコ・モナムール

 




15-1

「やっさん、あんまりやないですか」

「いやぁ、済まない。電話を入れたら、君らも帰ってないということだったのでムッシューと食事をして戻ったんだ。どうやら入れ違いになってしまったようだね」


「で、商談の方はどうやったんですか」


「うん、なかなかシビアな線を出して来てるんだ。ああ見えてムッシューはビジネスマンだからな」


「条件が厳しいんですか」


「うん、実は資本参加しろと言ってきた」


「そらまたえらいこと言いよりましたなぁ」


「私もそんな話になるとは思ってなかったんでね。ところが即決を迫って来るんだな」


「で、どないしはったんですか」


「輸入本数や契約期間のことくらいなら裁量権はあるんだが資本参加となるとね。ゴルフ場から専務にはファックスしてあるんだが」


「帰らな分かりませんやろな」


「それがそうじゃないんだ。帰る前に返事をくれと言うんだ。でなければ、今回のツアーの費用を出せと言うんだよ」


「何ですて!そら、話が違うんやないんですか。招待してくれたんと違うんですか」


「いや、視察してくれと言ったと言うんだよ」


「そんなアホな!」


「いや、私もプッツンしてねぇ。だいぶ抗議したんだが」


「で、ロートシルトのおっさんは」


「オフィスの方だ。私はそろそろ行って専務からのファックスを待つことにするよ」


「僕も一緒に行きましょか」


「いや、これは私がやらなければいけない仕事だから、田中君は今日はゆっくりしてくれたまえ」


安川の部屋を出た田中は自分の部屋に戻ると着替えをし、眠っている三人を起こさないように部屋を出ようとドアを開けた。と、誰かが背中を叩いた。振り向くとマリアンヌがニッコリ笑って立っている。田中はマリアンヌに目で合図し、そっと二人でホテルを抜け出した。


「マリアンヌ、パリ・コレのオーディションいうたらどこであるんや?知ってるか」


「そうですね、余り詳しくはありませんけど、多分デザイナーのオフィスかモデルクラブでしょう」


「彼女、フランスのファッション雑誌の表紙になってたことがあるんや」


「いつの何ていう雑誌ですか?」


「えーと、先月のことやなぁあれは。僕がこっちに来る前のことや。雑誌の名前は、アンアンやないノンノやないエルやないフィガロやない何やったか」


「ウタマーロ、キオスクに行ってみましょう」


二人はカフェを出ると道端にキオスクを探した。


「あっ、あそこにあります」


田中は数多い雑誌や新聞の中から、美知子の家のダイニングルームで見た雑誌を必死に探した。


15-2

「多分これや思うんやけど、マリアンヌ、この前の号に日本の女が表紙になってなかったかどうか聞いてみてや」

「待ってください。ヴォーグなら私も読んでます。あれ、日本人だったんですか?フランス人だと思ってました」


「何や、それ早う言うてや」


「ヴォーグの表紙になるのなら凄い売れっ子です。モデルクラブに聞いても分かるかも知れません」


「電話や。電話帳で探してみよう」


電話帳を開いてモデルクラブの欄を見ると十数軒の名前が載っている。片っ端からマリアンヌに電話して貰う。


三軒目で美知子の登録しているモデルクラブが分かった。だが、行き先は教えられないと言う。


「よっしゃ、僕に代わって」


田中は受話器に向かって大阪弁でまくし立てた。


「あのな、大事な用件なんや、僕、どうしても美知子に会わんならんのや。美知子に会うて頼みたいことがあるんや。僕の上司がえらいことになっとるんや。そやから、美知子に会うてロートシルトのおっさんを何とかして貰わなあかんのや。美知子はロートシルトのおっさんの恋人なんやアムールなんや」


そこまで田中が言ったとき、受話器からOKと言う声が聞こえた。


「OK?」


「ウィ」


「ちょ、ちょっと待ってや」


田中がマリアンヌに電話を代わると、相手は場所を教えてくれた。


「ウタマーロ、相手はウタマーロがミチコの恋人だと思ったみたいよ。ミチコ、今ゴルチェのスタジオにいます。行きましょ、私も早く会いたいわ」


スタジオにはテレビや雑誌でしか見ることのないスーパーモデルたちが詰めかけていた。  入口でマネージャーらしき女性に制止されたが、マリアンヌがタクシーに乗る前に買った小さな花束が役に立った。「恋人が花束を持って会いに来た」と思ったようだ。


美知子は田中の姿を見ると走って来て田中に抱きつき、フランス人のようにキスした。京都で見たときの美知子とはまるで別人のようにあでやかで輝いて見えた。


近くのカフェで三人は話した。美知子は田中の話を聞くと、表情を一瞬曇らせて言った。


「私、お役に立てないと思います。彼のビジネスについては私、ノータッチですから。お互いに束縛しないことにしてるんです」


田中は何も言わなかった。そして、美知子に話してしまったことを恥じた。美知子とは何も関係ないのだ。


「すんませんでした。忘れてください」


「いいんです。でも彼、田中さんの会社と絶対にワインの十字軍をやるんだと電話で言ってましたわ」


15-3

「やっさん、連絡はありました?」

「うん、今頃副社長のところにファックスが回ってる筈だ」


「で、おっさん納得してますの?」


「しないよ。裁量権のない人間と今まで一緒にツアーして来たのかって息巻いてるよ。日本の意思決定システムはよくご存じの筈なんだが」


「それだけ今度の自社生産ワインには力を入れてるいうことですか」


「うん、どうしても独占契約したいらしい」


エスカルゴ・モントログイユでのフランス最後の晩餐は全く盛り上がらなかった。ミッシェルとカトリーヌもその場の雰囲気を察知してか大人しい。エスカルゴをつつき、ブルゴーニュの白、モンラッシェを色々と合わせて飲むという最高の趣向なのだが全員が下を向いたままだ。


黒服が現れ、ロートシルトに耳打ちした。途端、ロートシルトの顔色が変わり、田中を睨みつけた。


「ウタマーロ、貴方ですね」


「へ?」


「ミチコは来ません。それに、とんでもないことを言って来ました。シキとの独占契約です」


「吟醸酒をフランスで売るいうことですか?」


「ウタマーロ、とぼけても駄目です。この話をしたのは貴方ですね。ビジネスにどうして彼女を巻き込むのですか」


「すんません。お願いしたのは確かです。そやけど断られたんです。彼女は、ムッシューのビジネスにはノータッチだし、プライベートなことに干渉されたくないと」


「じゃ、どうして」


「ムッシュー、貴方は金と権力にモノを言わす父上のやり方は嫌いや言うてましたな。そやけど、今のやり方はそっくりそのまま父上のやり方と同じやないんですか」


「ノン、私はただ、ワインの十字軍に対する真剣さを表しただけです。私は本当に手を組むことの出来る相手を探しているのです。私の人生と共に歩んでくれる相手を」


「ムッシュー、そのお心意気は十分に理解しているつもりです。私もトップの判断が下せるだけの資料はファックスしてあります。今しばらくお待ち下さいませんか」


「待てないのです。私は今日決めてしまいたいのです。今日は彼女の誕生日なのです。そして、今日、発表したいものがあるんです」


執事がワゴンで運ばせて来た物がテーブルの上に並べられた。三本のワインボトルには写真のついたラベルが貼られていた。ラベルには、「ミチコ・モナムール」と印刷されていた。写真は、田中が見たことのある、ヴォーグの表紙になっていた美知子の顔だった。


「ボンソワール、ムッシューロートシルト」


その声にロートシルトが振り向き、叫んだ。


「おお、ミチコ、モナムール!」


15-4

「マリアンヌ、今日はおおきに」

「いいのよ、ウタマーロ。私も楽しかった」


ボブヘアーをかき上げ、白くて広いマリアンヌの額にくちづけしながら、田中は久しぶりに静かなときを過ごしていた。


「ウタマーロ、ミチコのこと好きなんですか?」


「なんで、そんなこと言うんや」


「ウタマーロ、今日は真剣でした。必死に彼女を探してました」


「そらそうやがな、やっさんを何とかしよう思てやないか」


額から鼻を伝い、唇へと口を這わせながら、マリアンヌの表情が大人びて来たように田中は感じた。初めて出会ったときから二週間ほどしか経っていないのに、色気が感じられる。


ただの小娘が、今日一日でいきなり成長したかのような変わり様だった。


「日本人って不思議です」


「何でや」


「いつも違うことを考えているような気がします」


「そんなことないで、僕はマリアンヌのことしか考えてぇへんで、今は」


「ミチコはあのときノンと言いました。でも、彼女のやったことは逆のことです」


「気が変わったんやろ、後で」


「なぜ?気が変わる理由があるんですか?」


「さぁ、そら分からんなぁ」


「嘘、ウタマーロは知っています。ミチコがそうするだろうと思ってたんです」


マリアンヌの乳房は本当に形が綺麗だ。てのひらでスッポリとかくれてしまう大きさなのに、完全に収めることが出来ない。仰向きに寝ているのに、立っているときの形と同じ形で斜め上を向いている。


マリアンヌの体は、その乳房のようにとても変化に富んでいて飽きることがない。小柄なくせに、少し体を動かすだけで、膨らみと翳が微妙に変化しては挑発する。


どうすればその瞬間を所有することが出来るだろう?マリアンヌの全ての瞬間を。マリアンヌの変化する体の全てを。


「マリアンヌ、好きやで」


「私の体ですか?それとも心?」


「全部や」


「私もです。今日、私、ウタマーロに恋しました」


「そうか。正直やな」


「本当です」


「おおきに。僕もマリアンヌのこと、好きやで」


「嘘じゃありません」


マリアンヌの体はとてもよくしなる。覆いかぶさっていたかと思うと、仰向けに倒れ込み、反動をつけてまた起き上がって来る。


だが、その夜、マリアンヌは田中の上に乗って来ることも、覆いかぶさって来ることもなかった。マリアンヌは、その夜、とても可愛い寝顔を田中の胸に押しつけて眠ってしまった。


15-5

「ウタマーロ、また貴方にやられましたね」

「いや、僕やないんですわ。美知子さんのお考えですわ。やっさんにも相談せんといらんことしてしまいました」


「いや、田中君感謝してるよ。最後の一押しがモノを言ったんだ。ムッシューも人が悪い。最初から、わが社に対する資本参加と引き換えだとおっしゃって頂ければよかったんです」


「ノン、そんな虫のいい話は最初から出来ません。私はこれでもビジネスマンなのですから」


その日は到着したときとは打って変わって青空が広がり、澄みきった空気が旅立ち前の気分を引き締めてくれる。


「ムッシュー田中、これ、私のお礼のしるしです。ホンコン経由のチケットとシャングリラのスイートの予約券です。ワインとシノアが合うかどうか本場で試してみてください。ヤッサンの分もあります」


「いやぁ、そんな、申し訳ないですわ。僕、何もしてませんのに」


「いえ、貴方は武士道が分かる男です。三人の娘から全部報告は聞いています。貴方こそ是非ともワインの十字軍に参加して貰いたい一人なのです」


ロートシルトの隣に目をやると美知子が微笑みながら頭を下げた。


「美知子さん、すんませんでした。お幸せに」


「ありがとうございます。お気をつけて」


「ウタマーロ!」


マリアンヌが飛びついてキスしてくる。


「ウタマーロ」


「ウタマーロ」


カトリーヌとミッシェルも抱きついてくる。安川の方に二人が行っても、マリアンヌは田中から離れようとせず、いつまでも田中の口を吸っていた。


「私、ジャポンに行きます。きっと行きます」


マリアンヌはそう言いながら涙を流している。田中はその泣き顔を見ながら、もう一度強く抱きしめボブヘアーをかきあげて額に最後のキスをした。


「送りませんから。私たち大学に戻らなきゃ」


「うん、そうやな。勉強せな。マリアンヌ、色々おおきに」


執事の運転する車は三人の娘を残してホテルを後にした。


シャルル・ドゴール空港に向かう車の中は皆無口で、それぞれの思いを胸にしていた。


田中は、割烹に合わせるワインを探している間にいつの間にかフランスに来てしまったことの不思議を思った。そして、美知子とロートシルトの恋。大富豪の血を引く、世の中を知り尽くした中年男が全てを捧げようとしている日本の女、美知子。カトリーヌ、ミッシェル、そしてマリアンヌの三人娘。どんな研究論文を書くことだろうか。


大西洋岸のボルドー地方にそのルーツを持つロートシルトが、コート・ド・ローヌに本拠を構えた。その真意はワインの十字軍だと言う。


田中の思いをよそに、空港が近づいて来た。そして、フランスが遠ざかろうとしていた。


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