第十四話 ヴァン・シノア

 




14-1

セーヌ川の左岸、サンジェルマン・デ・プレにカフェ・ドゥ・マーゴはある。この店はかつて、実存主義のリーダーであったサルトルやボーヴォワールやカミュらが夜を徹して激論を闘わせたことで知られている。

だが、この界隈も今では芸術家や哲学者よりも学生たちに人気の店が立ち並び、若々しい活気にあふれた街へと変貌した。


カフェの椅子に腰掛け、ボブヘアーのマリアンヌの顔を眺めながらエスプレッソを飲んでいても、田中は、回りの風景に溶け込んで行かない自分を発見してがく然とした。


田中の浮かない表情をみてとったマリアンヌがその気持ちを見透かすように


「ウタマーロ、元気ないですねぇ。彼女のことを考えているんですか?」


「分かるんかいな」


「彼女のことは私、よく分かります。彼女はムッシューを本当に愛してますね」


「そこなんや、僕が分からんのは。あれだけ嫌がって逃げ帰ったくせに、また戻って来るいうんが」


「一人でよく考えてみて気がついたんでしょう、きっと。本当に大事なものが何なのか」


「ほんなら、僕がしたことは何やったんやろ」


「ウタマーロの正義感は日本では正しいし、男の理屈としては正しいんです。でも、フランスでは通用しないし、女には通用しないということですね」


「ほな、僕はピエロやないか」


「そうかもね。でも、それに気づいただけでも良かったじゃないですか」


「ひどい言い方やなぁ。僕本当に自信なくしたわ」


「元気出して、何か食べに行きましょ。気にすることはありません。私たち二人だけのことを考えましょうよ。ヤッサンはミッシェルと楽しんでるし、シャンゼリゼの方にでも行ってみましょうよ」


「ウタマーロ、今夜はカトリーヌの相手もしてくれませんか?」


パリに着いたその夜、ローシルトは田中に向かってそう切り出した。


その日は朝早くから執事の運転するリムジンでリヨンから真っ直ぐ北上し、ディジョンを経由してパリに着いたところだった。


リヨンからパリまでは約五百キロ。ローヌ川の支流ソーヌ川に沿って、ブルゴーニュ地方の名門シャトーが軒を連ねている。


特に、コルトン・シャルルマーニュやモンラッシェを産するコート・ド・ボーヌ地区と、シャンベルタンやロマネ・コンティを産するコート・ド・ニュイ地区はコート・ドール、黄金の丘と呼ばれ、ブルゴーニュの中でもひときわ輝きを放っている。テイスティングをしながらディジョンでランチをとり、シャブリを抜けてシャンパーニュを回り、パリに着いたときには、さすがの田中も疲労と酔いとでフラフラになってしまっていた。


14-2

「どういうことなんですか?」

「いや、実はついさっき電話がありまして、人と会わなければならなくなったんです」


「今日はもうヘトヘトですわ。なんせ物凄い強行軍でしたし」


「そうですか?たったの五百キロの旅じゃないですか。東京と大阪の距離でしょ」


「そらまあそうやけど、ずっと飲みっぱなしやないですか」


「ウタマーロ、恩に着ます。詳しくは明日お話しますから」


夕食を終えホテルに戻り、マリアンヌとカトリーヌに挟まれながら、田中は腕枕をし、もうどうにでもなれとばかりにベッドに横たわっていた。 朝から飲み続けたワインの酔いに身を任せているだけでも体が溶けて行きそうなのに、顔の上に跨がったマリアンヌのお菓子のような部分で窒息しそうになりながら、カトリーヌの優しくて温かい花弁で擦られているとそのまま落ちて行きそうだった。


「ブリオッシュみたいな味やなあ」


「マリー・アントワネットが好きだったお菓子ね」


「フランス革命のときに、パンを求めてヴェルサイユ宮殿に押し寄せた民衆に向かって彼女は『パンがなければブリオッシュを食べればいいのに』って言ったんです」


カトリーヌが振り向いて補足した。


「好きですか、ウタマーロも」


「うん、ホッとする味やなぁ。だんだんフランス人になって来たんやろうか」


「おお、それは困ります。これだけは日本人の方がいいですね」


「僕、もうあかんわ。眠ってしまいそうやわ」


「ノンノン、それはフェアじゃありませんね。次は私の番です」


片方の手でカトリーヌの窪んだ背中を、もう片方の手でマリアンヌの下腹部を愛撫しながら、田中は女たちと一緒に高まって行った。


マリアンヌの体からは汗が吹き出し始め、カトリーヌの両脚の間からは愛液が滲み出しては田中の口の回りを濡らした。


カトリーヌの突起は隆起し、成長して行く木の芽のように田中に向かって突き出てくる。それを歯で優しく噛みながら下に向かい、両方のヒダを唇でめくり、愛液の味を比べてみる。


塩味と酸味の効いた味がする。チーズで言うと青かびタイプのロックフォールだ。マリアンヌはトロリととろける白カビタイプのカマンベール。シャイなミッシェルは、山羊の乳で造ったシェーヴルの味だった。


麻子は海の匂いがした。潮風が吹き渡る海岸の匂いがした。ラ・メール、海はフランス語では女性名詞の筈なのに、どうして海の匂いがしないのだろうか。田中がそう思ったとき、カトリーヌとマリアンヌが同時にのけ反って田中から体を離した。


14-3

「ボンジュール、ウタマーロ。昨夜は申し訳ありませんでした。その代わり、その人、ウタマーロにも紹介しますから楽しみにしておいてください」

「田中君、実は今日は私の方から頼みがあるんだ」


「何ですの、やっさん」


「ウタマーロ、実は今日は私たち、ビジネスの話をしなければなりません。それで、ミッシェルの相手もお願いしたいんです」


一瞬、田中の鼻先にシェーヴルの匂いが漂った。


「ちょっと待ってください。冗談やないですわ。商談は昼だけなんでしょうね」


「勿論ですよ、ウタマーロ。ちょっと私たちはゴルフ場で軽くプレイしながら商談をしてしまいますから。夜には戻りますよ」


「田中君、そういうことなんだ。二人きりで話したいとムッシューが言うもんだから、すまんな」


突然切り出されて、納得する時間もないまま田中は三人の相手をさせられることになった。だが、商談である以上、文句を言う筋合いはなかった。ロートシルトのプレゼンテーションはすでに終わりに近づいていたし、そもそも商談のためのフランス出張だったのだから。


急にニコニコ顔になったミッシェルとは対照的にふくれっ面になったマリアンヌにカトリーヌが提案した。


「こうなった以上、仲良くやりましょ。共有財産は分かち合わなければいけませんね」


「君ら何勝手なこと言うてるんや。僕は一人になりたいわ」


「そうですか、それで、一人になってどうするんですか?」


「ルーヴル美術館行くのもええし、エッフェル塔に登るのもええし、ノートルダム寺院に行ってもええし、バトームッシュ乗るのもええし・・・」


「スキーに行きましょうよ!」


「おお、それがいいです。四人で皆が楽しめる方法はスポーツしかありません」


「グルノーブルかシャモニね」


「ウタマーロ、滑れるんでしょ?」


「そらまぁ、滑れんことはないけど、せっかくパリまで戻ったのに、また行くんかいな」


田中の抗議をよそに三人娘の意見はまとまり、数時間後にはグルノーブルのゲレンデに四人は立っていた。遠くにはモン・ブラン、その向こうにはスイスアルプスの山々を見渡すことが出来る。


ワインと料理と娘たちという日常から一瞬抜け出したアウトドアの時間の中で、立ち止まり思い切り深呼吸する田中の横を娘たちが滑って行く。


自然のままのゲレンデを疾駆する三人娘を眺めながら、芋の子を洗うようなゲレンデで真っ直ぐに上から下まで下りるだけのスキーをしている日本の娘たちの不幸を思いやった。


「フェアやないで、こんな国があるなんて」


「パルドン?」


「君ら、フランスに生まれて幸せやで、ほんまに」


14-4

ホテルに戻り、部屋に入ってしばらく待ったがロートシルトと安川部長からの電話はなかった。

「ウタマーロ、お腹空きましたねぇ」


「そうやなぁ、飯、食いに行こうか」


「ひどいですねぇ、ムッシューは」


「ウタマーロ、何食べますか?」


「予約もしてぇへんしなぁ」


「おお、そうです。シノアにしませんか?」


「シノア?、中華かいな」


「私たち、大好きなんです。今日はスポーツもしましたし、沢山食べたいですね」


「いつもぎょうさん食べとるやないか」


カルチェ・ラタンにあるその店は、勉強に忙しい学生たちに人気の店で、シノア・エクスプレスというその名前のとおり、料理がスピーディに供されるということでも人気があった。


日本の中華料理店に比べると小綺麗な印象はあるが、一歩店内に入った途端匂ってくる油の匂いは懐かしさすら覚えるほど優しく田中の胃を刺激した。


料理もフランス風に気取ることなく、落ちついた味付けで、田中は焼きそばやレバー炒めを平らげて行った。


「オララ、ウタマーロ凄い食欲ですねぇ」


「うん、何かほっとするわ。ワインともよう合うんやなぁ、中華て」


フランス娘三人に日本人一人という組み合わせを見て、店主は北京ダックやフカヒレや豚の丸焼きをすすめたが田中はそれを無視して老酒とワインのいいものを運ばせた。


「老酒が一番合うはずなんやけど、何でやろうな」


「ラオチュー、私好きです。シェリーに近い味わいですね」


「そうや、老酒も日本酒と同じように米と水で造るんやけど、瓶で熟成させるところが違うんや。中国のワインいうところやな」


「ヴァン・シノアですね。ちょっと甘いですね」


「料理の甘味をおさえてあるんやな。それで合うんや。普通は老酒にはピッタリなんやけど、老酒が甘く感じるくらいに甘味を押さえてあるんや」


「白に合いますね。この魚は」


「油通しをしてから餡掛けを掛けてあるんや。そっちは清蒸や。老酒をかけて蒸してあるんや」


「この豚も美味しいです」


「それは焼豚言うんや、そっちは蒸してあるんや。その味噌ダレを掛けて食べるんや」


「スープも美味しいです」


「最後はこれや、焼飯。これで決まりや」


四人は散々食べ、しこたま飲んだ。中華料理はパリにあってもなおその力を発揮し、パリ・ジェンヌたちの舌をも満足させていた。


田中が満足そうにジャスミンティーを飲みながらマリアンヌの顔を見たとき、三人の娘たちが同時に言った。


「ウタマーロ、デザートは何にしますか?」


14-5

ホテルに戻るとロートシルトからメッセージが入っていた。ゴルフ場からの帰りの道が混んでいるので遅くなるということだった。

マリアンヌはまたも機嫌が悪くなった。カトリーヌとミッシェルが同じ部屋にいて自分の部屋に戻ろうとしないからだ。


田中は田中でロートシルトを呪った。食べ過ぎて苦しい腹を抱え、久しぶりにしたスキーの疲れが追い打ちを掛けてくる。といって、誰もいない部屋に二人を追い返すことも出来ない。


三人は今日のスキーのことや、今までのツアーのことやを話しているのだが、ソワソワした気持ちを隠しきれないことが手に取るように分かる。


「僕、今日はもう寝るで。シンドイがな」


お喋りは止んだが返事がない。田中が服を脱ぎはじめると三人も我先に洋服を脱ぎはじめる。


「待った、ジャンケンや」


「ジャンケンって?」


「おお、私知ってます。グー、チョキ、パーで勝ち負けを決めるんです」


「カトリーヌ、ほなそれ教えといて皆に。僕、シャワーしてくるわ」


田中がシャワーを浴びて部屋に戻ると、マリアンヌが飛びついてきた。残りの二人はと見るとがっくりと肩を落としてうなだれている。


「私の勝ちね。私が一番です」


「待った、そんなこと言うてないで。誰か一人決めて言うたんや」


「ノン、そんなこと言ってませんね。順番を決めるためにジャンケンをしましたね」


「君ら、ええかげんにせえよ」


田中がそう言ったとき、電話が鳴った。


「田中さんですか?私、美知子です」


電話の声はそう言った。


「美知子さんて、あの・・・」


「ええ、京都の美知子です。その節は色々とありがとうございました」


「今、どちらに」


「パリなんです。パリ・コレのオーディションに来てます」


「パリ・コレて、ファッション・ショーのあれですか?モデルさん、やめはったんやないんですか」


「ごめんなさい。あきらめきれなくって」


「どうしてここが分かったんですか」


「彼に聞きましたの」


「・・・・・・・」


「ごめんなさい。田中さんにはご迷惑をおかけしてしまって」


「・・・・・・・」


「私、もう一度やり直そうと思うんです。明日お会いすることになりますけど、これだけは田中さんに私から直接申し上げたくて。本当にあのときはありがとうございました」


「・・・・・・・」


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