第六話 カリフォルニア・シャブリ

 




6-1

四ツ橋を北に行って二本ほど西に入った所に、割烹料亭の老舗「大吉兆」がある。

この界隈はかつて賑わった花街だが、ひいきの旦那衆が姿を消して行くのに伴ってさびれて行ったということだ。それでも、時々たどたどしい三味線の音が二階から漏れてきたりすることもあり、昔日の栄華を懐かしむかのように老人が立ち止まり、それに耳を傾けてじっとたたずんでいるといった風景に出会うこともある。


暮れもおしせまった頃、田中はこの「大吉兆」で割烹料亭参入プロジェクトチームの第一回ミーティングを持った。


割烹料亭に参入するためには、まず、本格的な料亭の味と雰囲気をプロジェクトメンバーに理解させることが先決である、というのがその理由だった。ミーティングには、部長の松田、課長の林田、係長の大森、プロジェクトメンバーである女子社員の大林、飯島、吉田、唯一の男子社員である頭でっかちの関口の四名、そして田中の総勢八名が顔を揃えた。


「松田部長、チームリーダーの大林です」


田中が任じた大林を松田に紹介する。


「君は、かなりワインには詳しいらしいですね。今回のプロジェクトは田中主任に一任してあります。最後の責任は私が取るつもりですから、安心して、思う存分頑張ってください」


「ありがとうございます。私たちPKOは、田中主任のお役に立てるよう、一生懸命頑張ります」


「PKO?」


「はい、プロジェクト・割烹・大林チームの頭文字を取ってPKOです。わが社の新規プロジェクトのために一生懸命努力したいと思っています」


「ハハハ、PKOですか。それじゃ、海外派遣も検討しなければなりませんねぇ」


「海外の割烹料亭並にワインの揃った店を増やしていきたいと思ってます」


「ほほう、楽しみですねぇ。田中主任、いい人を選びましたね」


「やる気のある社員で、達成目標と役割分担とが分かっているメンバーにしました」


「田中君、たったこれだけでやるというのかね」


「これ以上でもこれ以下でも不可能な人数が五名なんです。松田部長を入れて六名、丁度いい数です」


林田課長がムッとなりながら、


「私は関係ないと言うのかね」


「まぁまぁ、林田課長、今回は部長直属のプロジェクトですから」


と大森係長がとりなす。


「役割を確認します。大林は実質のリーダーです。飯島が料亭担当、吉田が和風レストラン担当、関口は飯島、吉田の補佐です。そして、私は旅館を担当します。このプロジェクトの進行状況は、大林から部長に逐次ご報告いたします。以上です」


「目標は、打倒吟醸酒!私たちPKOは、徹底的に闘うぞ!」


「おお!」


大林の掛け声に、メンバーたちが唱和した。

6-2

座敷のテーブルの上には、数十本のワインボトルが並べられている。この日のミーティングの本題である、懐石料理に合うワインの利き酒をしようというのである。

「本日は第一回目ということで、私が今までの経験と勘で選んだワインを合わせてみました。勿論、その日のお料理によってこの組み合わせは無限に変化していくものです。今後、このプロジェクトを推進していく上でのテストマーケティングとして、官能検査を兼ねて定期的に行っていきたいと思います」


前菜が運ばれはじめた。と、同時に四人の女性が部屋に通されて入ってきた。


「この会のオブザーバーをご紹介いたします。まずこの会を開催するに当たりまして、この料亭を紹介して頂きました、麻子ママです」


珍しく和服に身を包んだ阿波座のママが、にこにこしながら田中にウィンクし、部長連中に向かって頭を下げ、大林たちにも挨拶する。


「お隣は会員制クラブとしては知らない人のいない千夜のマダム」


いつものようにタキシードを着込んだマダムが、目を伏せながら挨拶する。


「このお二人は、当社と致しましても相当のお取引を頂いておりますお得意様でございますし、洋酒全般についてのプロということで、特にご参加頂きました。そのお隣はキタのベルサイユの加奈子ママ。そして、最後になりましたが、有馬の老舗旅館「下の坊」の女将さんです」


阿波座のママもベルサイユのママも和服姿なのだが、女将の着こなしには遠く及ばない。二人の挨拶にかぶせて、


「このお二人は、まだ当社とのお取引も浅いのですが、積極的にワインをお扱い頂けるということですので、当社のワインのテイスティングも兼ねましてご参加頂いております。合計十名、つまりグループインタビューに最適にして最小の単位ということになります」


「十二人じゃないの?」


林田課長が、いぶかしげな顔をして田中に問い詰める。


「あっ、本日はそういうことになります」


「どういうことなの、それ。私たちはお呼びじゃないって言いたいの?」


「いえ、そうではなく、田中主任は十名がグループインタビューに最適な数だとおっしゃってるだけです」


大林が口をはさむ。


「おっしゃってるんじゃないでしょ」


「あっ、申しておる次第です」


「課長、お客様もおられますし・・・」


大森係長がとりなす。


「さて、前菜が出ましたのでアペリティフから始めたいと思います」


田中が関口に合図し、全員にワイングラスが行き渡った。

6-3

「どうでした、ママ。あんなことで上手くいったんやないか思いますねんけど」

「上出来とちがう。本気でやるいう意気込みも部長さん分かってくれたやろうし。そやけど、気に入らんなぁ、あの女の子ら」


「えっ、ええ子らや思いますけど」


「ごまかさんでええ、加奈子のことは分かってるけど、残りの二人のことや」


大晦日の夜、田中は麻子のマンションにいた。


「ああ、あの二人ですか。言うたとおりですわ」


「加奈子から聞いたけど、あの男みたいなの、あんたが送っていった子や言うやないの」


「えっ、もうバレてますんかいな」


「それと、もう一人の有馬の子、あれ何や」


「何やて、言うたとおりですがな。新館が出来るんでワイン入れたい言うてますねん」


「有馬で何でワインやの。安もんの酒売ってたらいいんや、あんなとこ」


「いや、そやからそのイメージを変えよう思てはるんやないですか」


「あの子とこ、もう行ったん?」


「えっ、ええ、まぁ。いっぺん見といてほしい言うもんやから」


「何もなかったんやろねぇ」


「何を言うてますんや、そんなもん、何もある筈ありますかいな」


「分からんからなぁ、あんたは」


「何を言うてはりますの。年末年始はちゃんとここにおるやないですか。さぁ、飲みましょ。ロイヤルホテルのお節も買うて来ましたがな」


「その態度が怪しいんや。うちに紹介しといてごまかすいう手もあるしな。イヴの夜かて、怪しいもんや。ほんまに仕事やったんかいな」


「白ですわな。カリフォルニア・シャブリいきましょか。ブドウは辛口のシャルドネ種。女性に一番人気の逸品。数の子にピッタリの味わいですわ。もちろん、キャビアにもバッチリでっせ」


「うち、お酒の方がええわ。冷蔵庫に入れてあるの持ってきて」


「ヘイヘイ、分かりました」


田中はキッチンに向かって走り、ドアを開け、並んでいる日本酒の瓶のラベルを見て、絶句した。そこには、「子規」の五合瓶がずらりと並んでいたからだ。


田中の頭の中に、山田の顔と、「子規」の社長の顔が浮かんだ。田中が有馬の女将と一緒にいたときにママの店に二人が行っている・・・。


「ワイングラスで飲んだら美味しいらしいわ」


「そうですか。僕はシャブリにしますわ」


「ほな、乾杯しょ。今年も、お疲れさん!」


田中は、屈託ない笑いを投げかける麻子のグラスに自分のグラスをぶつけて、しぶしぶ言った。


「お疲れさんでした。良いお年を!」

6-4

「明けまして、おめでとう!」

「おめでとうございます!」


ついさっきまで裸で抱き合っていたのに、かいがいしく起きだして雑煮を作りはじめた麻子に刺激されて、田中もテーブル・セッティングを手伝った。


じゃこでダシを取り、丸餅を入れ、大根、人参を刻んで三つ葉を乗せた白味噌仕立ての雑煮に、田中はブルゴーニュの赤ワインを合わせた。


「お雑煮に赤ワインて、変な取り合わせやなぁ」


「赤て、おめでたい感じがしますやろ。お正月料理にワイン合えへんかったら、話になりませんがな」


「仕事熱心やなぁ。そやけど、うち、やっぱりお酒や思うけど」


「ママ、どっちの味方ですの、山田さんと僕と」


「アホやなぁ、そんなこと何も言うてぇへんやないの。ただ、お雑煮やったら、うちはお酒の方がええ言うてるだけやないの」


「ママ、そない言うたら、洋食でも日本酒は合ういう山田さんに勝たれへんのですわ」


「一郎ちゃん、なにもそんな、お正月から勝つや負けるや言うてどないすんの。今年は始まったとこやないの」


「分かってますけど、僕、このプロジェクトは成功させたいんですわ。山田さんにも負けとうない」


「分かってるわ、そんなこと。そやから、なんぼでも応援するやないの。そやけど、あの人は半端やないで。あんたの敵やないかもしれん」


「ママ、そんなこと言わんといてください」


田中は、テーブルの上の麻子の手を握りしめる。


「あの人は、ワインのこともよう勉強してはるわ。和食に合わすことの出来るワインは、赤も白も一種類しかないとか言うてたわ」


「それは、何ていう」


「それは、言わはれへんかったけど、日本酒と肉は相性が悪い言うてはったな。それと、男は酸っぱいのは平気やけど、女は酸っぱいもんが嫌いなんや言うてはったけど、確かにそうやな」


「ママ、それで」


「それでって、うちかて分かれへんわ。考えてや」


「酸味がきついワインも確かにあります。で、それはレモンソースのかかった料理に合わす。肉料理は基本的に赤やけど、その理由は肉の匂いを消すタンニンの渋みが役立ってる訳や・・・」


「一郎ちゃん、お寺行けへん?」


「お寺て、神社と違いますの?」


「神社なんか今頃行ったら一杯やないの。お寺は大晦日は一杯やけど、お正月は暇なんよ」


「お寺、参りますんか」


「うん、ちょっと新年の風に当たって来よ。うちの菩提寺が下寺町にあるんよ」


正月とあって、タクシーで千日前通りを通って下寺町まではすぐに着いた。門の前に石柱がたっており、「味覚寺」と書いてある。さすがに業界のゴッドマザーの菩提寺としてふさわしい寺の名前だな、と田中は思った。

6-5

「わしもぜひ呼んでくれませんかな、その会」

と、「味覚寺」の住職は言った。


「カリフォルニア・シャブリ言うたら、シャルドネ種のブドウですわな、そやけどな、アメリカ産のシャルドネは、フランス産のシャルドネとは違いますんや。独特の香りがするんが特徴なんやな。フォクシー・フレーバーて呼ばれてますんや」


「フォクシー・フレーバーですか」


「そや、狐の臭い言うことなんやけど、そういう意味やないんや。フォックス・グレープ言う品種でワインを造ると、こう、何ちゅうか生理用品みたいな臭いがするんやな」


「生理用品ですか」


「うん、わしはそう思うんやけど、他の人はどない思うか知らんけどな。これ、女の人は気にならんらしいんやけど、わしはあかん。臭うて臭うてたまらん。狐のションベン飲んでるみたいなんやな」


長身で細身の住職は、縁側で田中と麻子に向かって話し続ける。


「ボルドーがおばん臭いいうのも分かるな。タンニンがきつすぎるとそうなるんや。あんまりいい年のワインやないけどな」


「でも、あの子ら最後にソーダで割ったり、ジュース入れたりしてたやないの。あれで味、分かるの」


「和食の場合はあかんでしょうね。洋食やったら合わんこともないかもしれんとは思てるんですわ」


「そら、あきません。やっぱ、そのまんま飲んでもらわな。そや、ちょっと行きましょか」


住職に従って本堂に入り、阿弥陀如来の背中に回ると木製の台座に木戸がついている。その木戸を開けると階段が床下に延びているのが見えた。


「あんまりめったなことではお連れしませんのやけど、ここ、ワイン・カーヴにしてますんや」


階段を下りていくに従って空気が暖かく感じられる。地下は外気を遮断して、一定の温度に保たれているため、ワインの貯蔵にはもってこいなのだ。


「わし、フランスワインのボルドーとブルゴーニュしか持ってませんのやけど、わしの知り合いの神主なんか、ごっついこと寝かしてはりまっせ。これなんか、どないです」


見ると、二十年も前のボルドーのヴィンテージ・ワインだ。


「これも、五ケース程買うて寝かしてたんやけど、もう少のうなってしもて、さびしいわぁ」


「赤ばっかりですねぇ」


「わし、白はやっぱ般若湯の方がよろしな。さっきの話やないけど、何やこうションベン臭いのはかなわんし。よっしゃ、これとこれでいってみよ」


住職は比較的新しいワインとさっきの二十年物の二本を大事そうに手に持つと、上に上がるよう、田中と麻子をうながした。


「ええ鴨が入ってるんや。ダシで壬生菜と食べたら美味しいで。麻子さんもええんやろ、今日は」


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