第七話 マテウス・ロゼ
7-1
新年が明け、田中の会社でも初出社の日がやってきた。
休み明けの気分は、初登校する学生のようなもので、何だかウキウキするような気持ちと宿題の提出に少しの不安を抱えての出勤となる。
それでも、女子社員たちの中には振り袖で出社してくる者もいて、正月らしい華やぎが、これから始まる重苦しいサラリーマンライフに一瞬の安らぎを与えてくれる。
松田部長から新年度に向けての経営トップの方針が発表され、部内の新プロジェクトとして発足した田中たちのPKOの活動内容が伝えられた。
林田課長が、一課、二課に続いて、三課の目玉としてのPKOの活動方針を補足して新年の挨拶兼部内ミーティングの全てが終了した。
いつもの年なら、この後景気づけの祝杯を挙げて得意先の挨拶回りに繰り出すところなのだが、それぞれの課では引き続きミーティングに入った。
田中は、それを横目に、林田課長、大森係長が声をかける前にプロジェクトチームのメンバーをともなって会社を後にした。
「主任、どこへ行くんですか?」
振り袖を着たチームリーダーの大林が、田中を小走りに追いかけながら尋ねる。
「ミーティングや。ドトール・コーヒーかワイン・バーか、どっちがええ」
「ワイン・バー、もうやってますか?」
「心斎橋の方やったらやってるやろ、そっち行ってみよか」
田中たち五人は、すっかり葉を落として冬の青空に突き刺さっている銀杏並木の御堂筋を南に向かって歩いて行った。
ワイン・バーも乱立していた頃の活況はなく、ミナミとキタにそれぞれ一軒ずつがかろうじて生き長らえている有り様だった。
その店は、ワインの品ぞろえに定評があり、田中のような業界関係者や、ホテルやバーのソムリエたちが集まる店として知られていた。
席について、田中はミュスカデを、大林たちは例によってワイン・クーラーを注文し、クリームタイプのブリー・チーズをオードブルにした。
「どや、宿題は出来たか」
「あのー、僕の方から発表させて貰ってもよろしいでしょうか」
一番若手で唯一の男子社員である関口が口を開いた。関口にはコンピュータが得意なことから、顧客管理システムを研究しておくように言ってあった。
「コンピュータを使って顧客管理するいうことは、まず前提として膨大な顧客と膨大な入力項目があるいうことです。しかしながら、営業三課の場合、現在、膨大な顧客というには程遠い顧客数しかありません。さらに、入力項目は全く整理されていないため、フォーマット化できません。従って、まず入力のためのフォーマットを作り、少ない顧客数から演繹する形で攻略目標を定めていくことが先決です」
7-2
田中を始め、大林ら女子社員三人が関口の方をじっと見つめる中、関口は続ける。
「それで、もしもシステム化するのであれば、入力した情報から何らかの出力が得られるようにしなければ、システムとは呼べない訳です。そして、もし入力する情報が顧客の属性であるならば、出力されるべき情報は少なくとも四つあります。一つ目は商品情報、二つ目はユーザー情報、三つ目は当然のことながら得意先情報、そして、四つ目はわが社が採用すべき経営情報です」
「関口君、現在の情報量ではその四つの情報の出力は無理なんか」
「話になりません」
「そうか、ほな、君の仕事はその入力項目を決定することやな」
「はい、大林チームリーダーから頂いた情報から入力項目を作っていきたいと思います」
関口はそこまで話すとワイン・クーラーを一気に飲んだ。上気した顔が初々しいと田中は思った。
「吉田君の宿題は和風レストランの実態調査だったな。行ってみたか?」
「はい、お正月の間も営業してましたので六軒行ってきました」
「ほう、頑張ったな」
「ありがとうございます。で、分かったことは、家族での利用が多いこと。飲み物はビールが九割だということ。グラスワインはあるがひどいものだいうことの三点です」
「ほう、それで、君はどうしようと思うんだ」
「まだ、ハッキリとは分からないんですが、ビールと同じ値段で提供できるワインなら置いて貰えるんじゃないかと思うんです」
「なるほど、大林君はどう思う」
「選択できるというのはいいんですけれど、決定させるためにはビールより安いほうがいいと思いますが、品質が落ちれば二度と注文はないと思います」
「そうだな、吉田君のテーマはビールより安くて品質のいいワインの発見だな」
「はい、分かりました」
吉田が、うれしそうに小さな体を震わせた。
「飯島君は料亭担当だが、今月のワイン・セレクトは君にやって貰う」
飯島が大きな目玉をくりくりさせながら、
「主任、私、無理です。ワインのこと何も分かってませんし、あんな懐石料理いうんかてこないだ食べたのが初めてですし」
「飯島君、誰かて初めてなんや。僕かてあんな料理に合わすワインが何かなんて分かってないんや。心配せんでええ。カリフォルニア・シャブリが一番人気やったんやろ。そしたら、次は何か考えたらええんや」
「私も手伝うから。がんばろ。なっ」
飯島の顔を覗き込むようにしながら、大林がそう言うのを聞いて田中は立ち上がり、
「旅館担当の僕はこれから三日程出張や、ほなナ」
7-3
千二百年の歴史を持つといわれる有馬温泉は、温泉寺の本尊である薬師如来の十二神将をかたどって作られた十二の宿坊から発達した温泉で、坊という字がつく旅館は並でない歴史を持っている。
田中が「下の坊」に到着したのは、団体客がチェックアウトしてしまって一段落した昼を回っていたが、女将はいそいそと玄関まで出迎えてくれた。
「荷物、届いてますか?」
「はい、大きなのが三つも」
「寝かしといてくれはりましたか?」
「ええ、去年からずーっとお部屋に並べてありますのよ。それと山田さんが社長さんと一緒に持ってきてくれはったお酒も置いてあります」
長い廊下を渡り、部屋に入る直前、田中はその言葉を聞いてつんのめりそうになった。
「山田さんと社長、ここへ来はったんですか」
「ええ、年末に寄ってくれはったんですよ」
ドアを開けながら、邪気のない口調で女将が返してくる。
「それで、ど、どうやったんですか」
田中が洋間の方に入っていきながら尋ねる。
「どうやったて、もし気に入ったようやったら、なんぼでも入れてくれはるいうことでしたけど」
「それだけですか」
「ええ、お二人で一泊してくれはりまして、社長さんとこの蔵の歴史とか、吟醸酒のお話とかをお聞きしました。今、お茶お入れしますわね」
田中はうつむいてお茶を入れる女将の手元を見つめながら、またか、と思った。
洋間から和室の方に目をやると、田中が送りつけたワインが畳の上に寝かされている端に、「子規」とひときわ鮮やかに墨書された白い五合瓶入りの化粧箱が置かれているのが見えた。
「山田さんと社長、ここに泊まらはったんですか」
「ええ、年末でここしか空いてませんでしたし」
「そのときからあのワイン、あそこに並べてはったんですか」
「ええ、お寝間は隣に敷かせて貰いましたし、山田さんが動かさん方がええおっしゃるもんですから」
手の内は読まれている。山田は自分の動きを全部読んで行動している。田中はそう思った。麻子の言った、「あんたの敵やないかもしれんな」という言葉が脳裏に浮かんだ。
「女将さん、あの社長さんとこご存じなんでしょ」
「えっ、ええ、うちとこと同じくらい歴史ありますでしょ、あの社長さんとこ。何でもあの「子規」いうお酒も、先代さんが歌人の正岡子規と交遊があったからとかで、あの字も直筆やいうことです」
「女将さん、歴史がある同士で、吟醸酒を入れはったらいいんやないですか」
「そやかて、山田さんが・・・」
「ほな、山田さんが、肥たんこはまれ、言うたらはまるんですか!」
「何言うてはりますの。そんなこと言わはるんやったら、何で年末来てくれはりませんでしたん?」
7-4
田中と女将はしばらく睨み合って座っていた。
「お風呂、入らはったらどうです」
女将が先に根負けして口を開いた。
「いや、すぐ始めましょ。あっちから一番好きなワインを二本、持ってきてください」
「お昼、もう食べはったんですか」
「いりません、そんなもん」
女将は立ち上がると、アッカンベーを田中に見えないようにしながら、和室に入り、ワインボトルを二本持って戻ってきた。
「マテウス・ロゼですか。初心者のワインですな。それとシャブリ。これもポピュラーなワインですけど、旨さはそっちとは比べ物になりません。アンバランスな選択です。つまり、白にシャブリを選ぶ人なら、ロゼやのうてスッキリした赤、同じブルゴーニュ地方のボージョレ・ヴィラージュあたりを持ってこなバランスが取れませんがな」
「そんなこと言うたかて、私、分かりません。そやから教えて下さい。一生懸命覚えます」
「ま、よろし。そのとおりや。このマテウス・ロゼいうワインは世界一売れてる言われてるワインですわ。子供から大人まで楽しめるいうのが特徴です。あのバケットに氷と水入れて持ってきてください。グラスは僕が持ってきましたから」
田中は入口の横にあるガラスの戸棚を見て女将をうながし、持ってきた黒いトランクを開けて、
「オードブルは、フロマージュにしましょ。クリームタイプのカマンベール・チーズ。ああ、白いお皿とプチ・フォークも頼みます」
と、立って行った女将の背中に声をかけた。
チーズを切り分け皿に乗せ、切り口からゆっくりと蜜のように溢れてくる豊かなクリームが食べ頃を教えてくれるまで待つ間に、田中は洋間に行き、山田が置いていった「子規」を持って戻ってきて、バケットに突っ込んだ。三本のボトルの形はバラバラで、いがみ合いながら浸かっているかのようだ。
「まず、マテウス・ロゼからいきましょか」
田中は慣れた手つきでソムリエナイフを使い、コルクを抜いて、六つ並べたうちの二つのグラスに少なめに注いだ。
甘くて軽い香りがすぐに鼻孔に届く。色は赤みがかったピンク。グラスを回してもブーケが立ちのぼることもない。
「チーズと合わしてみてください」
「美味しいチーズね」
「ワインとは合いませんでしょ」
「分かりません」
「じゃ、シャブリ、いってみましょか」
「美味しい。さっきよりもスッキリしてて、チーズが口の中でふくらんでいくみたいです」
「じゃ、これは」
田中は吟醸酒を三つ目のグラスに注いだ。
「美味しい。私、ごめんなさい、これが一番好き。きめが細かくて、チーズがクリームみたいに口の中で溶けていくみたいで」
7-5
食事が終わり、ワインのテイスティングの初日が終わった。どのワインも、料理には合わなかった。たった一つ、山田の置いていった吟醸酒をのぞいては。吟醸酒はすべての料理に対して相性の良さを見せ、主張することもなく妥協することもなく料理とのハーモニーを奏でるばかりだった。
「当たり前のことなんや、日本酒が和食に合ういうのは。和食に合わせて日本酒が出来たんやし」
「田中さん、お嫌やと思いますけど、山田さんは、新しい味の発見は僕にはでけへんて言うてはりました。それが出来るんは、田中さんみたいな人やて」
女将は、和室の畳の上に仰向けに寝ころんでいる田中の物をしゃぶりながら、なぐさめるような言葉を投げかける。
口に赤ワインを含んではしゃぶり、含んではしゃぶりしているのを、頭の後ろに腕組みをして見ていた田中が急に起き上がった。その弾みで、女将が口に含んでいた赤ワインが畳に飛ぶ。
田中はそれに構わずに女将の浴衣をめくり上げ、帯に手をかけた。
「あきません、今日は堪忍してください!」
田中はその声には耳を貸さず、帯を引っ張って解き、浴衣をテーブルの向こうに放り投げ、下着に手をかけ尻の方から引き下げようとした。女将はその手を押し止め、静かに田中の耳元で言った。
「自分で脱ぎます。先にお風呂入っといて下さい」
田中が両手を壁のタイルに置いてシャワーを頭から浴びていると、女がそっと入ってきた。
その気配で田中は振り向き、女の頭を押さえつけて浴槽の縁を両手で持たせ、両脚を開いて尻を突き出させると女の両脚の間に手をやって挿入されていたものを乱暴に引き抜き、代わりに自分の物をいきなり差し込んだ。
女のその部分はすでにヌルヌルしていて、抵抗なく田中の物を受け入れた。
田中は尻の肉を両方に押し広げ、ヌルヌルした液体の出てくる部分を露出させながら突き刺し、両手で両乳房を握りつぶすほどの力で握りしめた。女は腕を突っ張り、尻を振り、田中の、愛撫とは決して言えない行為に応えてくれる。
床のタイルに目を落とすと、シャワーのお湯で薄められて、まるでロゼのワインを流したような液体が、二人の足元から床一面に広がっていく。
女の腰を抱き、尻を持ち上げ、前後に揺すりながら田中が泣きわめくような声を上げて果てても、なお女は田中の物が外に出ていくのを惜しむように、田中の恥骨に尻を押しつけた。
田中は、女の背中からその高い腰骨に当たった水滴が体にそって流れ落ちていくのを見ながら、
「すんません。何か、嫌になってしもて」
「ええんです。私が悪いんです。山田さんのことばっかり言うて」
「懐石に合うワインなんかないんですわ、きっと」
「そんなことあらしません。探しましょ、二人で」

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