第八話 コート・ド・ローヌ

 




8-1

心斎橋から御堂筋へ歩き、少しだけ北へ行ったところに、田中の会社「帝国ワイン社」はある。名前が示すとおり、戦前からワインの輸入販売をおこなっており、輸出と引き換えにワインを扱っている電器メーカーなどに比べれば、多少はワインに対する思い入れもコネクションもあった。

だが、当時は滋養強壮剤として扱われていたワインも、今ではアルカリ健康食品として扱われたり、パーティを盛り上げるための小道具として扱われたりするようになり、その販売方法にも消費者にも変化が見られるようになってきた。


田中の会社でも、女性の嗜好性を調査したり、和食とワインの相性を研究したりしていたのだが、突然現れた敵である吟醸酒を迎え撃つべくプロジェクトチームが結成された。田中はそのリーダーに任ぜられ、女子社員を中心にしたメンバーによる吟醸酒打倒作戦が開始されることになった。


「おい、田中主任はどこに行ったんだ!」


「確か、出張だということですが」


林田課長が大森係長を呼びつけて詰問している。


「貿易部の安川部長の秘書で武田佳子さんだ」


「はぁ、どうも。田中が何か」


「何かじゃないよ、とんだヘマをやらかしてるんだよ、田中君は。接待で有馬に泊まってらした安川部長と鉢合わせしてだな、お連れしていたフランスの仕入れ先を怒らせてしまったらしいんだ」


「いえ、怒らせた訳ではないんです」


細面の武田という女が口を開く。


「私が通訳でしたので、私にも責任はあるんです。田中主任のおっしゃることを全部そのまま訳してしまったものですから」


「どういう事だったんでしょうか」


大森係長が武田に尋ねる。


「ええ、実はこちらの田中主任はPKOのプロジェクトリーダーで、大変仕事熱心な方だと伺っています。その仕事熱心が今回災いしただけなんです」


「ハハハ、ちょっと待ってくださいよ、田中主任が仕事熱心だと言うんですか」


林田課長が、からかうような口調で武田に問いかける。


「彼は営業三課でも札つきのチャランポラン男でとおってるんです。だからこそ、問題を起こしたんでしょ」


「いえ、ですから問題ではなくて、海外出張の許可をいただきに参りましたのです」


「かっ、海外出張って誰がです?」


「ですから、田中主任をお借りしたいのです」


「君ねえ、何を言ってるんですか。彼は国内出張でもチャランポランで困った社員ですよ。それが、海外出張なんてとんでもない」


「私は安川部長の代理として申し上げてるだけですから」


「あの切れ者の安川部長がですか」


「はい、田中主任を是非にと」


8-2

「一体、有馬で何があったって言うんですか」

大森係長が秘書の武田に問いなおす。


「はい、実は安川部長と私は年明け早々、フランスのローヌ地方にあります当社の設立当時からの仕入れ先のロートシルト氏を有馬にお連れしまして商談をしておりました。そこにたまたまこちらの田中主任がPKOのお仕事で出張でいらしてました。夕食の後、バーで飲んでおりますと、田中主任と女将さんが連れ立って入ってこられました。田中主任は、PKOでは旅館のご担当ということで、割烹に合わせるワインを女将さんとご一緒に研究なさっているということでした」


「そんなところに行ってるんですか、彼は」


「ええ、三日間の出張予定ですが。それで?」


「はい、それでロートシルト氏が女将さんに興味を持たれまして、ワインは何にでも合う飲み物で、当然和食にも合うと申されました。ところが、田中主任が、和食に合うワインなんかある訳ない、とおっしゃいまして、そのロートシルト氏と口論になりまして」


「ほら、ご覧なさい。あんな男をプロジェクトリーダーなんかにするからです」


「まぁまぁ、それで?」


「それで、結局、田中主任の言い分とロートシルト氏の言い分とどちらが正しいか、フランスまで行って確かめようということになりまして」


「どうしてそれがフランスまで行くことになるんですか」


「はい、ご存じのようにローヌ地方は地中海沿岸のプロバンス地方と並ぶワインの産地なのですが、フランスでも魚介類を中心にした料理が多い地方なんです。もちろん、そこで飲まれているワインといえば、コート・ド・ローヌにコート・ド・プロバンスということになります。これらの地方のワインは魚介類にピッタリと合うワインとして知られていることはご存じのとおりです」


「ですから、どうして行かなきゃならない訳?」


「はい、要するに風土の違いなんです。その土地の料理にはその土地のワインがピッタリ合うことを証明するんだと、ロートシルトさんがおっしゃいまして、田中主任をご自分のワイナリーに是非とも招待したいと」


「で、安川部長は何とおっしゃってるんですか」


「はい、部長はすでにご出張の予定を組んでおられまして、田中主任のご予定を確認してくるようにとおっしゃいました」


「田中主任とご一緒していただけると」


「はい、是非にとおっしゃっておられます」


「貿易部の超エリートの安川部長と営業三課の問題社員とが一緒にフランス出張、ですか」


「はい、調整していただけますか」


「私は反対です。とんでもない話です。田中君は国内の営業担当なんですよ」


「課長、しかし、安川部長が了解済ということは」


「やぁやぁ皆さん、あれ、佳子さんやないですか」


8-3

その声に全員が顔を上げると、元気に出社してきた田中が、女子社員たちに土産物を渡しながら、こちらに向かってくるところだった。

「田中君、知ってるのかね君は」


「は、何をですか?」


「何をですかじゃないよ。フランス出張の件だよ」


「ああ、あのロスチャイルドのおっさんですか?来い言うから、行ったろやないか言うただけですわ。そこらの話は、この佳子さんに聞かはったんやないんですか」


「佳子さんって君、気安く言うもんじゃない。安川部長の秘書の武田さんだ。それに、ロートシルト氏じゃなかったのか、君が会ったのは」


「いえ、英語読みだとロスチャイルドになるんですけど、そう田中主任がお呼びになったら、とても喜ばれまして。日本ではその方がとおりがいいと。それに、ロートシルト氏は今回、日本の料理に合わすワインの研究のためにいらしてまして、安川部長と有馬の旅館に泊まられることになったんです」


「そこで、同じことをしていた僕とバッタリ。で、意気投合して、日仏共同でPKOをやろういうことになりまして」


「そうなんです。フランス料理にワインが合うのは当たり前だとおっしゃいまして」


「そして、割烹に吟醸酒が合うのは当たり前、どないしたらワインを合わすことが出来るんかと僕も悩んでた矢先のことですわ」


「貿易部といたしましても、和食に合うワインの発見が今年のテーマになっておりまして、是非とも田中主任をお貸しいただきたいと安川部長もおっしゃっておられる訳です」


「なるほど、そういうことだったんですか。そういうことならば、お断りする訳にはいきませんねぇ、課長」


大森係長が林田課長の顔を見つめるながらそう言ったとき電話が鳴った。


「はい、大森でございます。あ、は、はい。はい、申し伝えます」


「課長、松田部長からで、安川部長が返事を聞きたいとお電話がありましたそうで。まだ、部長のところに話が行っていないのが遅いとおっしゃってるそうです」


「何、安川部長が。あの方は短気で有名だからな。よし、大森君、君はいいんだな。君がOKなら、私にも依存はない。すぐに私からご報告に伺おう」


「ほな、僕はもうよろしいですね」


「あっ、おい、田中主任、出張報告書、書いておいてくれよ」


「出発予定は、今月末から来月早々になると思いますので、よろしくお願いいたします。では、失礼いたします」


苦虫を噛みつぶしたような顔で、秘書の武田が戻っていくのを見送る林田課長の顔を見ながら、「先が思いやられるな」と大森は思った。だが同時に、「頑張ってくれよ、田中」と心の中で叫んでいた。


8-4

「お帰りなさい、主任。成果はいかがでした?」

「まぁ、温泉饅頭でも食いながら、お茶でも飲もうや。どうや、大林君そっちの方は」


「今月の例会のワイン・セレクションは決まりました。主任のご意見を伺いたいんですが」


「よっしゃ、リスト見せてみ」


大林からリストを受け取り、さっと目を通して、


「あかんなぁ、これじゃ」


「えっ、駄目ですか?」


「うん、多分な。赤はしんどいな。ロゼ、そうや、コート・ド・ローヌ合わしてみよか。白は、ミュスカデのシュール・リーか。澱を樽に残したままにしておいて、上澄みを瓶詰めした奴やな。これはいいやろ。アペリティフとディジェスティフにシェリーか。これもまぁ、ええやろ」


「コート・ド・ローヌより、コート・ド・プロバンスかも知れませんね、主任」


「うん、そうや、両方いってみよか」


「はい、分かりました。そうします」


「あっ、そうや、今月のゲストやけど、今度は男でいってみよか」


「はい、結構ですけど、どなたか主任に心当たりおありですか」


「うん、それ、僕の方でやるわ。ピッタリな人、見つけたんや。おっ、関口君、君が煎れてくれたんかいな。君も饅頭食べ」


「はい、ありがとうございます。主任、こないだインターネット覗いてて気がついたんですけど、フランスの核実験反対の動き、凄いですね。フランスの物産品に対するボイコットの影響、これから出てくるでしょうね」


「そうや、ワインも伸び悩んでるらしいな。あっ、そうや、僕な、今月末あたりからフランス、行くことになりそうなんや」


「えっ、フランスですか」


黙って話を聞いていた飯島と吉田が同時に声を上げた。


「お土産、お願いしまーす!」


「いや、それでやな、今月の例会、一週間早めといてほしいんや、大林君」


「分かりました。早速手配します」


「さてと、ちょっと僕、出掛けるわ。明後日帰りになると思うけど」


「主任、ランチは?」


「すまんけど、今日は無しや。ちょっと色々と準備せんならんことがあってな。ほな、後、頼むで」


田中が会社を後にし、地下鉄に乗って着いたのは大阪駅だった。大阪駅で福知山線に乗ると、綾部で降りた。綾部駅前は寒波の影響もあって、一メートルを超える積雪に見舞われていた。田中が、頬を張られるような寒風と底冷えのするコンコースに立つと、エンジンを掛けたまま止まっていた車の中から女が出てきて、田中に挨拶した。女は、堀越美知子と名乗った。


8-5

美知子は酒造場の杜氏の娘だということで、田中を迎えに来てくれたのだ。細くて背が高い。大きな瞳はキラキラと輝いているのだが、表情にはどこか翳りがある。田中が「モデルさんみたいですね」と言うと、「もう、やめましたの」と前を見たまま答えた。

酒造場にはすぐに着いた。田中はもう少し話したかったのだが、美知子は玄関まで案内すると車を車庫に入れに行った。玄関には、「子規酒造場」と墨書された檜の看板が掛かっていた。


田中がこの酒造場を訪れようと思ったきっかけは単純だった。竹林亭で杜氏の言った一言がどうしても頭を離れなかったからだ。その杜氏は、「酒の味は家つき酵母で変わる」と言った。そして、全く同じことをフランスの仕入れ先であるロートシルト氏が言ったのだ。「ワインの味は、代々伝わっているワイナリーの空気によって変わる」と。

空気の中に漂っていてワインの味を左右するもの、それは酵母なのだと田中は思った。そして、ロートシルトのワイナリーを訪れる前に、子規の酒蔵を見学しておこうと思い立ったのだ。ワインも吟醸酒も同じ醸造酒である。ならば、吟醸酒の仕込みを知ることが先決である。田中はそう直感したのだった。


田中は社長に早速電話を入れた。社長は大阪に出張していて留守とのことだったが、杜氏は心安く応じてくれた。酒造場に関しては、杜氏が全てを取り仕切っており、社長の許可よりも優先するのだと言うことだった。それでも、社長に断ってからと電話で言ったのだが、しばらくは戻らないという返事だったので、少し気が引けたのだがやって来てしまった。それほどまでに、田中はこの杜氏にも蔵にも興味を持っていたということに初めて気づいた。


「ようお越しくださいました」


あのときの杜氏が襖を開けて顔を出した。座敷に通され、座椅子に座って待つことしばし、さっきの美知子が盆の上にグラスとデカンタボトルを乗せて入ってきた。


「父はすぐに参ります。これ、順番に召し上がってみてくださいいうことです」


盆の上にはグラスが三つとデカンタボトルが三つ乗っており、金山寺味噌があてについている。


「テイスティングでもしろと」


田中は左端のデカンタから順番に注いで、三つのグラスを満たした。一番左のグラスは水の味しかしなかった。スッキリとしてふくらみのある水の味だった。二番目は水と同じ味を持った吟醸酒だった。三番目は、二番目と似ているがもっと腰の強さを感じさせる。金山時味噌は、三番目の酒に最も合う。


田中がそう美知子に言ったとき、襖が開いて杜氏が入ってきた。


「すんません、試験みたいなことしてしもうて。今はスッキリさわやかな酒が受けてますけど、腰のあるしっかりしたお酒でないと、ちゃんとした料理は受け止められしません。それと、飲み頃いうことです。そのお酒、同じお酒ですけど、三年物です」


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