第五話 ワイン・クーラー

 




5-1

「田中主任、進んでるのか、例の件は」

「はい、順調に。今日中に企画書とプロジェクト・メンバー、予算計画についてまとめてしまうつもりです。部長には明日にでもご報告しようと思っておりました」


松田部長に呼ばれた田中は、新規ルート開発プロジェクトの進行状況を報告している。


「今日中に女子社員の中から優秀なメンバーを選出するつもりです」


「女子社員を使うつもりかね」


「ええ、わが社の女子社員たちは優秀ですから」


「田中主任、君が女子社員を使うとは珍しいじゃないか」


「はい、ちょっと思うところがありまして。そこのところは企画書の方にまとめますのでお読みいただければと思います」


「田中主任、分かっていると思うが、業界は知ってのとおりの苦境を強いられている。このプロジェクトを進めるに当たっては、僕も君に一任した以上は何も言わないつもりだ。だが、このプロジェクトの成功にわが社の盛衰がかかっていることも事実だ」


「部長、楽しみにしておいてください。じゃ、失礼します」


「あっ、おい、田中主任」


田中はさっさと部長室を後にした。


「部長、大丈夫なんですか、田中君は同僚の評判も良くないようですし。仕事はチャランポラン、昼は営業にも行かずに電話番、夕方五時にはキッチリ退社、出張に行けば行ったで日程も予算もオーバー」


「林田課長、でも営業成績は彼が一番なんでしょ」


「そこなんです、どうもやり方がおかしい」


「林田課長、やり方は個人の自由じゃなかったんですか、うちの会社は。営業マンである以上、売った者の勝ちなのは当然でしょう」


「ええ、それはおっしゃるとおりなんですが、どうも彼の場合、Aランクの店で売上を伸ばしているとは申せませんでして」


「Aランクだろうが、Cランクだろうが、それは今までの実績に過ぎない訳でしょう。そのAランク店がCランク店並の売上しか出来なくなったからこそ今度のプロジェクトが浮上した訳でしょう」


「はい、それはおっしゃるとおりなんですが、競合他社のキャンペーンに対しても何かぶつけなければと策を練っているような次第でして」


「それって、後づけでしょう。他社がやってることをやっても仕方ないわけでしょう。キャンペーンがいいのか、何か他にやるべきことがあるのか、それも含めて今回のプロジェクト・リーダーは田中主任ですから、よろしく、協力してやってください。大森係長のご意見はいかがですか」


林田課長が不承不承引き下がるのを見て、松田は田中の直上司である大森係長の顔をうかがった。


「私はどちらかと言えば、田中君に関しては他の主任に比べて一目置いている方でして、自由にやらせておけば一番成績が伸びるタイプですが、ただ、」

5-2

「ただ、何ですか」

「ただ、確かに林田課長のおっしゃるように、どうもマイペースすぎるきらいがあるのも事実でして」


「だから、それをコントロールするのが直上司である大森係長、そして林田課長の役割なんじゃないんですか」


「おっしゃるとおりです。ただ、」


「ただ、何ですか」


「ただ、今回のプロジェクトのあり方というのは、私の一存で出来る範囲を越えておりまして」


「そんなことはないと思いますが。田中君が動きやすいようにサポートしてやる。つまり、彼のやることの尻拭いだけをお二人にお願いしたいだけなんです。その後の責任は私が取ります」


「尻拭いだけですか」


林田課長が確認するように松田部長に問いかける。


「ええ、そうです。決して、同僚が足を引っ張ったりすることのないように、お願いします」


部長室でのそんな会話のやりとりなど、全くもって興味がないと言わんばかりに、田中は課内の営業マンが出払ってしまってガランとした席に戻ると、週刊誌を広げて読みはじめた。


電話が鳴った。


「田中です」


「私です。お分かりですか」


「えーと」


「お預かりした本は全部読みました。大体ですけれど、ワインのこと分かりました。そしたら、色んなワインの味を試してみたくなりまして」


「あーっ、分かりました。そうですか。じゃ、次はテイスティング用に何本かお送りしておきますわ」


「テイスティングなんて、どうして私一人で出来ますの。有馬まで来て頂いて、一緒にして頂かなければ、まだ何も分かりませんのに」


「分かりました。でも、年末年始はお忙しいでしょう。来年早々にでも、伺いますわ」


「構いませんの。大女将が取り仕切ってますから。私は新館のことだけ考えていればいいんです。ぜひ年末から年始にかけて泊まってらしてください」


「分かりました。また、ご連絡します」


受話器を置くとすぐにまた電話が鳴った。田中が出ると、しばらく電話の主は黙ったままだったが、田中が受話器を置く直前に、思い詰めたように、


「こないだ、ワンナイトにいらっしゃったそうですね。奥まで入って来てくださらなかったんですね」


「あっ、どうも、ぎょうさん注文頂いてまして。すんません、ちょっと野暮用がありましたもんで」


「そうらしいですわね。兄に聞きました。クリスマス・イヴはどうなさってるんですか。私の家でパーティーがあるんですけど、来て頂けますか」


「クリスマス・イヴは日曜日でしたよね」


「ええ、ご予定はいかがでしょう。私、こないだのお詫びがしたくって」


「分かりました。またこちらからご連絡します」


5-3

「田中さん、どないしてんのん?」

田中が受話器を置くと、また電話が鳴った。阿波座のママだ。


「今日も会議やのん?」


「いえ、今日は会議やないんですけど、ちょっと、その、プロジェクトのメンバーのことやなんかの企画書作ったりせんならんのですわ」


「何やの、そのプロジェクトて」


「いえ、来年から新営業体制でやることになりまして。僕、その責任者なんですわ」


「へぇー、あんたが責任者!世も末やなぁ!」


「そらひどいわ」


「まぁ、ええ、クリスマス・イヴ、空けといてや。ゆっくりしょ、二人で」


「ええ、分かりました。なるべくそないしますわ」


「なるべくやない!絶対空けといてや。ほなナ」


さっさと電話を切ってしまう。受話器を置くと、すぐにまたベルが鳴り、


「田中さん、いてはりますか」


聞き覚えのない声だ。


「マダムに聞いたんやけど、あんたとこ、ワインあつこうとるんやてなぁ。千夜で会うたん、覚えとるやろ」


思い出した。あの夜、クラブ「千夜」で最初に声をかけてきた、初老の白髪の紳士の声だ。


「あっ、はい、思い出しました」


「ええワインあったらな、適当に十ダースほど送っといてほしいんや。シャンパンも一ダース入れといて。クリスマスに娘の友達が集まってパーティーするらしいんや。ほな、頼むで。ちょっと、秘書に替わるさかい。また、千夜にも顔出してや」


「は、はい。分かりました」


受話器を置きながら、クラブ「千夜」のマダムの泣き顔が脳裏をよぎり、田中は自分の物が反応しているのを感じた。


「田中主任、お電話です」


「おお、またかいな。田中です」


「ベルサイユの加奈子です。麻子お姉さんと田中さん、お知り合いだったんですねぇ」


「麻子お姉さんて、あの、阿波座のママの?」


「ええ、私、がっかり。だって、麻子お姉さんには逆らえませんもの。でも、ビジネスはさせてください。うちもワイン充実させよう思てます。今度はお客さんと一緒やのうて、一人でいらしてください。早い時間でしたら、ゆっくりお話できますし」


「分かりました。ぜひ寄せて頂きます。お店に合いそうなワイン、揃えてお持ちしますわ」


受話器を置くと、手が反射的に動いてまた受話器を取ろうとする。それを見ていた向かいの女子社員たちがクスクス笑うのを見て、フーッと大きなため息をつき、


「ああしんど、今朝はもう一週間分仕事したわ。君ら、昼飯行けへんか。イタ飯でも一緒にどや」


田中がそう言い終わるよりも先に、女子社員たちの瞳がキラキラと輝いた。

5-4

イタリアン・レストランは、ランチタイムには少し早かったことを割り引いても空いていた。バブルの頃には列が出来ていたことを思うと、隔世の感すら覚えるほどだ。

会社から近いところにある、田中の会社の取引先でもあるそのレストランは、白と黒のモノトーンで店内のインテリアがシックにまとめてあり、ランチメニューが充実していることで人気があった。


「どないですか?最近」


田中が顔なじみのシェフに挨拶がてら声をかける。


「あきませんわ。それでも、女のお客さんで今のところ持ってますけど」


「ほう、男はあきませんか」


「男のお客さん、イタリア料理よりお袋の味なんやないですか」


「はあ、サバの煮つけかいな」


「夕方は関東だきで一杯いうところやないですか」


「熱燗が恋しい頃やもんなあ」


「主任、そんなこと言うてどないしはりますのん。しっかり暖房の効いたところで冷たいものを飲むのがオシャレなんと違いますか」


大林という、色白の女子社員が口をはさむ。


「そうです。冬にアイスクリームなんて、昔は考えられへんかったのに、今は当たり前になってます」


今度は飯島という、丸顔の娘だ。


「お袋の味なんて、美味しい訳ないのに。それって料理の味が分かれへん男の言うことや思います」


次は吉田という、小柄な娘だ。どの娘もしっかりと自分の意見を持っているようだ。


「君ら、注文は何にするんや」


「えーと、まずアペリティフは白のワイン・クーラー」


「あーっ、私も」


「私もそれ」


「それで、パスタはイカ墨スパゲティ」


「私も」


「昼間っから、イカ墨かいな」


「だって、相手は主任さんやし、歯、磨いたらおしまいですやん」


「私はボンゴレ」


「君ら、そんなんでええんか?ほな僕は、赤のテーブルワインにAランチにしょ」


注文を終えて、


「ワイン・クーラーてソーダで割るんやったな」


大林に訊ねる。


「そうです。安いワインでも飲みやすくなるし、簡単にできるワインカクテルで人気あるんです」


「私は少しオレンジジュースを入れてますけど」


「そんなん入れたら、ワインの味、せぇへんやないか」


「主任、おくれてるーっ。ワインの味そのものを味わうなんて発想、女の子にはないんですよ」


「何でや」


「まず、そんなワインは高い。次に、そんなワインがあるレストランは高い。そして、そんなワインに合う料理は作れない。そして、さらにそんなワインのあるお店に誘う男は下心が見え見えである」


大林という女子社員がまくしたてる。

5-5

「ほな、君らがよう飲むワインいうたら何や」

「最近は、カリフォルニアワインの白。オーストラリア、ニュージーランド、チリも安うて美味しいのがあります」


「安うていうのがキーワードみたいやな」


「そらそうですよ主任、ワインってどのアルコールよりも割高なんと違います?一番安いのが焼酎、次が日本酒、その次がビール」


「さっき白や言うたけど、赤は何で飲めへんのや」


「さあ、何ででしょう。ロゼは人気あるんですけどねぇ」


「赤っておばん臭い匂いするからや思います」


「ほう、おばん臭いて?」


「ええ、ボルドーは特にそんな気がします。それに女の子には重たすぎるんと違いますか」


食事をしながらもワイン談義は続いている。イカ墨で口をお歯黒にした大林たちの話を聞きながら、上手く行きそうだな、と田中は心の中で思った。


「主任さん、クリスマス・イヴ、どないしてはるんですか」


「えっ、イヴか、別に用はないけど」


「大林さんとこ来はりませんか?」


「私ら集まってクリスマス・パーティしますねん。よかったら来はりませんか。なぁ、ええよなぁ」


「ええ、よろしかったら来てください。主任さんやったら話してても楽しいし」


「そうか、ほな、シャンパンでも持って寄せてもらうわ」


大林の単身者用マンションには、すでに三人が集まっていた。二人は大林の同僚の飯島と吉田だが、もう一人、今年入社したばかりの、関口という頭でっかちの男子社員が来ていた。


「おっ、君も来てたんか」


「はい、大林さんら、もの凄くワインに詳しいし、僕も勉強しよう思いまして」


料理はうどんすきだった。大林たちは、カリフォルニアワインの白をソーダで割ったり、それにオレンジジュースを加えたり、コーラで割ったりして飲んでいる。


「君ら、うどんすきにそんなん合うんか?」


「おくれてるーっ、これがナウい和食に合うワインの飲み方なんですよーっ」


田中は四人の食べ方と飲み方に少しクラッとしながら、松田部長に報告してあることを口にした


「今度のプロジェクトなんやけど、僕ら全員でやってみよう思うんやけど、どうやろ」


「今度のって、あの割烹料亭への売り込みいうプロジェクトですか」


「そうや、女子社員だけでと思てたんやけど、君も何か出来ることあるやろ」


全員が信じられないという顔をして田中を見つめている。しばし間があって、大林が泣き顔で、


「やらしてください!私たち、頑張ります!田中主任、メリー・クリスマス!」


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